「御文」

~ことばの力~

本願寺は蓮如上人の時代に大きく発展します。三門徒、錦織寺、そして、佛光寺の門流は、蓮如上人の時代、それぞれ分裂し、門徒団が大挙して本願寺に参入しますし、そうした門流に属さない一般の人びともまた蓮如上人の時代には数多く本願寺の門徒になっていきます。蓮如上人のもとに多くの人たちがつどったことの背景には、もとより蓮如上人の努力があります。何もせずに人が集まるはずはありません、蓮如上人はさまざまの工夫をこらした教化を行なっています。蓮如上人の工夫は数多くありますが、工夫のある教化としてまずあげられるべきは、御文による教化です。

蓮如上人が御文を本格的に書きはじめるのは、文明三年(1471)、蓮如上人が吉崎に移ってからのことです。蓮如上人が書いた御文の数は多く、現在、知られているものだけでも二百二十余通に及んでいます。

御文はきわめて多く書かれているとはいえ、蓮如上人が御文で主張しているのは一つのことだけです。それは、信を得よ、ということです。

御文のこと…もし一人も信をえよかし、
とおもふばかりにてあそばしをくなり(『空善記』)

御文にはさまざまな内容のものがありますが、主張の根本にあるのはこの、信心を得よ、ということです。

御文は一通、一通が短い文章でありながらも、それぞれに真宗の教えの要諦が的確に書きあらわされています。これについては、古くより、御文は千のものを百に、百のものを十に、十のものを一に選んで書かれたものだ、ということがいわれます。肝要なことのみを述べたものだということです。その上で、御文は論旨が明快であり、文章も平明につづられています。

御文は教化のために書かれたものであって、読み上げることがそのまま教化の行為となります。道場をかまえ、門徒をかかえていた坊主たちが御文を欲したのは当然です。御文にはすでに教えの肝要が述べられているのであり、それを読み上げることで人に信をとらせることができるのです。坊主にとってこれほど有用なものはありません。本願寺に参じた坊主のなかには御文を求めて参じた者も多かったとみられます。

御文によって本願寺に参じた人は、坊主だけではなく、一般の門徒のなかにも多くいたものと思います。一般の人びとは、御文を求めてというより、御文の聴聞を縁として本願寺の門徒となりました。御文には人を惹きつけるものがあります。蓮如上人の側も人の気を惹くよう、相当、配慮しながら御文を書いています。

御文は全体を通して、使われる用語がそれほど多くなく、同じ用語が繰りかえし使われています。安心、一念、平生業成、在家止住といった用語です。用語だけではなく、いい回しにしても同じようないい回しが何度も出てきます。努力を怠ってのことのようにも思われますが、逆にこれは蓮如上人の工夫なのだといわれます。同じ用語やいい回しが使われるのは、何度も使うことで、聞く者にそれを記憶させるためなのだといいます。いうなれば蓮如上人は教えをいくつかの決まり文句によって表し、それを聞く人に覚えさせたのです。この文句を覚えるということは重要なことです。

蓮如上人は門徒に対し、ただ聴聞するだけでなく、それについての自分の了解を語るように求めています。

法を聞いても人は勝手な理解をするもので、正しい理解をしているかどうかは語ってこそ分かるというのです。蓮如上人は語るということをきわめて重視しており、門徒に対して、しきりに語ることを勧めています。

ものをいはざること大なる違なり、仏法讃嘆とあらんときはいかにも心中をのこさず
相互に信不信の義談合申べきことなり(『蓮如上人一語記』)

語れといわれても一般の門徒には難解な仏教用語などは使えません。人びとが使ったのは御文の用語です。人びとは御文に出る用語や文句を組みあわせて、それで自分の信心を語りました。聞いている人も御文で知っている文句だけに、そのまま理解できました。御文は人に信を得させるために書かれたものですが、さらには人びとに信心を語ることばをももたらしたのです。人びとは御文によって教えを了解するだけでなく、御文によって自分の了解を語ることばを得ました。

人はことばによって物事を考え、納得し、ことばによって考えを人に伝えます。人の欲したのはことばです。人びとは御文のことばに聞き入り、喜々として自分を語ったのだと思います。蓮如上人は人の切望することばをもたらしたのです。蓮如上人のもとに多くの人たちがつどったのもうなずけます。

(熊野恒陽 記)