「本願寺の末寺支配」

~強く支配しないから末寺となる~

蓮如上人の時代、各地に散在していた真宗の門徒団は相次いで本願寺に参入していきますが、その要因の一つとなったのは本願寺の末寺支配のあり方です。蓮如上人の時代の本願寺の末寺に対する支配はさほど強いものではなく、それぞれの門徒団の内部にまで支配を貫徹させるということもありませんでした。

江戸時代の本末制度のもとでは、本願寺の権力が強まり、末寺の支配にしても、本願寺は本願寺の直末の寺を支配するだけではなく、その下の末寺、さらにその下の末寺と、重層する本末の関係を貫徹するかたちで全末寺を支配するようになっていきますが、蓮如上人の時代の本願寺の末寺支配はこうしたものとは大きく違っています。門徒団を一つの組織ととらえ、その組織を組織としてのまとまりを保ったまま大きくおさえるというのが蓮如上人の時代の本願寺の末寺支配のあり方です。本願寺は門徒団の内部の関係にまで干渉することはありませんでしたし、組織として大きくおさえるといっても、それほど強い支配を及ぼすこともありませんでした。門徒団は本願寺参入後も、従来のまとまりをそのまま維持することができたのであり、参入したからといって門徒団のまとまりが崩されるというものではなかったのです。

この参入後も門徒団としてのまとまりを維持することができ、さらには強い支配を受けることもなかったということを門徒団の側から捉えるのなら、蓮如上人の時代の本願寺では、門徒団の自立性は高かったということになります。門徒団にとってはこの自立性が高いということが重要で、この自立性が高かったということが、門徒団が本願寺に参入する一つの要因になりました。門徒団は自立性を保つことができたからこそ本願寺に参入したのです。門徒団としてのまとまりを解体され、その上で本願寺からも強い支配を受けるというのであれば、門徒団が参入することはありません。

江戸時代になると、本願寺の教団は内部の統合がすすみ、もともとの門徒団の違いといったものはあまりなくなってしまいますが、これは段階的にそうなっていったのであって、はじめから本願寺が一つの均質な組織であったというわけではありません。蓮如上人の時代などは、それぞれの門徒団は相当に自立的であって、教団といっても、それはそうした門徒団が本願寺を中心に連合するというかたちで成り立っていたものと思います。

蓮如上人の時代には、従来の真宗の門徒団だけではなく、天台宗や真言宗といった他宗の流れをくむ僧や、その信徒団、さらには一般の人たちが大挙して本願寺の門徒になっていきますが、それらの人びとにしても、本願寺に対し、自分たちの自主性を保つ、自立的な存在だったのだと思います。相手を従属させるとは、相手の自立性をそいでいくことですが、本願寺が門徒団や門下の人びとの自立性をそいで、それらを従属させていくのは、蓮如上人の時代よりのちに段階的にすすむことです。蓮如上人の時代は、門徒団にしろ、門下の人びとにしろ、相当、自立性が高いのであって、蓮如上人の代の本願寺の教団は、自立的な門徒団や門下の人びとによって成り立っていたのです。そうした自立的な門徒団や門下の人びとが集まって、まさに連合してのいたのが蓮如上人の時代の本願寺の教団です。

本願寺の教団の組織や、本願寺と末寺との関係といったものは、時代とともに変わっていきます。蓮如上人の時代の教団組織と江戸時代の教団組織は違っていますし、本願寺と末寺の関係も蓮如上人の時代のものと江戸時代のものとは違っています。江戸時代には本願寺の末寺に対する支配はかなり強いものになっていきます。蓮如上人の時代の本願寺の教団組織や末寺支配のあり方が江戸時代のものと違うのは当然のことですが、蓮如上人の時代の本願寺を論じたもののなかには、蓮如上人の時代の本願寺と末寺の関係を江戸時代の関係のように捉えているものが多くみられます。ならば蓮如上人の時代の本願寺は末寺に強い支配を及ぼしていて、門徒団はわざわざ強い支配を受けるために本願寺に参入したことになりますが、そうしたことは現実には考えられないことです。蓮如上人の時代と江戸時代とでは本願寺と末寺の関係は違っているのです。

門徒団は参入後も自立性を保てるからこそ本願寺に参入します。さまざまな門徒団が本願寺に参入するとともに蓮教上人も本願寺に参入しますが、蓮教上人の場合にもこの自立性を保つことができるということが参入のための大きな要因になりました。

(熊野恒陽 記)