「血脈相承」

~血脈によって成り立つ集団~

了源上人が書いた文書には、随所に血脈(けちみゃく)についての言及があり、しきりに血脈ということが強調されています。名帳と絵系図にしろ、本来は双方ともに血脈の相承を正しく示すために作られたものであり、そのことからしても、上人がいかに血脈ということに関心を寄せていたのかがうかがわれます。

血脈とは、教えの授受のながれということを表す語で、師から弟子に教えを伝えていく師資相承(ししそうしょう)とか、法脈という語と同じ意味をもっています。真宗では血統相続が普通なことから、血脈と血統とを混同して、血統のことを血脈といったりしていますが、元来の意味からすれば、これは誤りです。血脈の血という文字からの連想なのでしょうが、血脈の原義は血管ということです。師から弟子への教えの継承を人体の血のながれに擬して血脈といったもので、血管がつぎつぎにのびて血をながしていくように、教えが師から弟子へとつぎつぎに継承されるということを表しています。

血脈との考えは、教えは必ず人から人へと伝えられなければならず、人を介しない教えの相承はありえないという考え方にもとづくもので、仏教の諸宗に共通してみられるものです。了源上人にしても、こうした考え方から血脈を重んじているのですが、上人が血脈を重視するのには、いま一つの理由があって、集団の維持ということからも血脈が重視されています。

現在では、寺と檀家、あるいは僧と俗というものが明確にわかれ、それぞれが関係しあって全体として教団を構成していますが、この時代には、制度化された檀家などはなく、僧と俗の区分もあいまいで、人と人とを結びつけていたのは、唯一、血脈の関係でした。要は師弟関係のことであり、師弟関係の幾重もの連なりによって集団が形成されていました。集団が血脈の関係によって成り立っている以上、血脈の乱れはそのまま集団の乱れとなるわけで、ここから上人も血脈を強調し、血脈の乱れを防がなければなりませんでした。

そうした上人の主張を端的に示しているのが『念仏相承血脈掟書』と題される置文です。これは血脈の乱れが生じた際に、その解決の基準となるように定められた取り決めで、具体的に血脈のあり方の判断に迷う三つの事例をあげ、その際の正しい血脈のあり方というものを提示しています。

事例としてまずあげられているのは、ある人が他の人を教化する時に、自分にはその才覚がないのでまた別の人を雇って人を教化したとすると、教化された人は、雇われて教えを説いた人と、それを頼んだ根本の人のどちらの弟子となるのかというものです。そして、これについては教化を頼んだ根本の人の弟子となるのが正しいとされています。人を教化しようと志しを起こしたのは根本の人であり、その志しによって教化が行われたのだから、教化を受けた人は根本の人の弟子となるのだと説明されます。ついで、ある弟子が師を捨てて師のもとを離れたとすると、弟子のもとにいる孫弟子は、離れた直接の師と、そのまた上の師のどちらの弟子となるのかとの事例があげられます。そして、これについては上の師の弟子となるのが正しいとされます。上の師の導きにより、直接の師も仏門に入ったのだから、孫弟子はもととなる上の師の弟子となるのだと説明されています。最後には、師のもとを離れ念仏を捨てた弟子が、後年、再び念仏をはじめ、別の師のもとにおもむいたとすると、その弟子は最初の師と、のちの師のどちらの弟子となるのかとの事例があげられます。そして、これについては、二通り解釈が示され、その弟子が本心では念仏を捨てずに最初の師のもとを離れたならば、その弟子は最初の師の弟子であるとし、本心から念仏を捨てたのであれば、のちの師の弟子となるのが正しいとされます。最初にえた念仏が真実であるのなら、最初の師の弟子となるのは当然のことであるし、一旦、本心から捨てたのであれば、最初の師のもとで真実の念仏をえていないのだから、のちの師の弟子となるのだと説明されています。

こうして師弟関係のあり方のみが特に取り決めとして定められているところに、集団にとって血脈がいかに重要であったのかが示されていますが、あわせて特徴的なのは、教えをさずけた師の立場が擁護されているということで、それも教えのながれをたどってもととなる師が擁護されています。師がなければ弟子もないとの血脈の考え方からすれば、もとになる師が重要なのは当然のことで、これもまた血脈を重んじる態度の表れだといえます。

(熊野恒陽 記)